材木座海岸

海の日と原発

海なし県に育ったせいか海には強く惹かれます。
就職先の研修期間を鎌倉の保養所で合宿したのも一因かもしれません。不況の折で配属先の工場が開店休業状態で実習先も確保できないありさまでした。しばらく保養所にでも放り込んでおけということになったのでしょう、4月から9月までここにいました。

僅かな座学のあとはもっぱら屋外活動です。海岸沿いを江の島まで歩いたり、夕食後に縁側から見える由比ヶ浜の夕景を眺め入ったり、すっかり海に馴染みました。

ヨットにも手を出しました。当時、森繁や加山雄三などの持ち船が話題になっていました。あんな外洋航海できるようなヨットはとても無理です。ディンギーと呼ばれる二枚帆の小さな舟ですが無理すれば4・5人は乗れます。レースに出たり、佐島や烏帽子岩などに出かけ、誰もいない浜をみつけて上陸しよく昼寝したものです。

これは恰好の気分転換になりました。その頃は高度成長期で会社務めは激務の一言です。
いまならブラック企業のそれと変わりありません。それでもだれも不平不満をいわなかったのは、目標がはっきりしていて、それに向けて全員が力を合わせている実感があったせいでしょう。

そんなに親しんだ海から足が遠のいたのは、仕事の関係もありますが、浜がひどく汚くなったせいです。シーズンの最後に浜を掃除して、ゴミを穴に放り込むと翌年には綺麗になっていたのが、プラゴミが増えてきてからはもういけません。市の清掃も追いつかず、汚れる一方です。

そんな浜も海も最近かなりきれいになってきました。それで近頃は毎年夏になると海に出るようになりました。といっても浜でビールを飲んでタバコを吸い、海風に吹かれながらぼんやりと海を眺めているだけですが。

それで、打ち寄せる波がしらが浜辺に儚く消えていく様を見ていて、このエネルギー遷移を電力変換できぬものかといつも思います。
それが出来れば、おぞましい原発に頼らずとも済むのにと取らぬ狸の皮算用をしてしまいます。

というのは、いつか見た資料に、日本の海岸線の長さはアメリカ、中国を抜いて世界第6位だとあったからです。つまりこの面では有数な資源国なのです。
(先日のニュースで、潮流発電が実用化されそうだと報じられていましたから、あながち夢物語でもなさそうです)。

どだい、地震大国日本に原発があること自体がおかしくないですか。と、ここからやや気合が入ります。最近巨大地震の被害想定が次々と発表されていますが、原発による被害のことをもっと議論するべきです。真剣に考えれば、即時停止くらいに踏み込む必要がありますが、何とも生ぬるい状況です。

話題が突然飛びますが、海は広いな大きいなという歌があります。大好きな歌ですが、あれを作詞した人はとんでもないことを云っています。実際のスケールで云えば月はともかく、海に太陽が沈むことはない。でも人にはそう見えます。このことは何か大事なメッセージのような気がしています。見方、つまり視点をかえれば別のものが現れる。あるいは真実が発見されるという意味で。

間違いなく巨大地震は発生すると言われているのですから原発問題は、今からすぐにでも視点を変えて考えたいものです。私などその頃には、この世をば、線香の煙とともに、はいさようなら しているでしょうが、分かりきっている惨事を防げないのは情けない話です。

私は、いま鎌倉、峯山の山桜の巨木を後世に残そうと活動していますが、山桜は後世に残してもいいですが、原発は残してはならぬものの筆頭でしょう。

     >>>>エッセイ放生記 毎月二回(1日、15日)発行予定<<<<
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