1808風鈴
気の遠くなるような酷暑が続きます。
ニュースでは、躊躇わずに冷房を使えといいますが、余計なお節介です。3.11の時に計画停電がありましたが、あれは何だったのでしょうか。躊躇わずに使えとは何事かと思ってしまい、どうも報道にうさん臭さを感じてなりません。

二年後にはこの時期に五輪開催となりますが、熱中症対策はどうするのでしょうか。今朝の報道ではサマータイムを検討中とありますが、それだけでは不十分でしょう。
いっそのこと全競技ナイトゲームにでもしなければ死者がでるような気がします。

こんな事をヱラそうに言うのは年の功というものです。80才を越えている今、私の体にも心にも積年の弊が堆積しています。

それらのものが単に降り積もった形であるならば、新陳代謝を阻害し頑迷とか固陋とか言われます。そこまでにならずとも、堆積物が枯れたり腐ったりすれば、ジジムサイとかで鼻つまみの存在になります。

逆にそれらが、内なるものとある種の化学反応をおこして光り輝く。しかも新品のそれではなく、落ちつきのある渋い色合いを持っている。それがいぶし銀の風合いというものであると理解しています。できれば我が人生もそうありたいと人並みに願っていました。

ところで、我が家に古い南部茶釜があります。むかし、東北地方の田舎道の路端にあった骨董品というより古物商から買い求めたものです。(上掲の絵の風鈴も南部鉄器です)

当初は湯を沸かしても、かなっ気(鉄臭)で飲めませんでしたが、連れ合いが何べんも茶殻を入れて煮立てて、ようやく使えるようになりました。表面も使っているうちに汚れや錆がとれて、落ち着いた風合いになってきました。

それを眺めてふと思ったのですが、もともと大した素材でもないのにいぶし銀などと考えるのは、不遜の極みであって、鉄だと思えばいいのではないか。

安物で手間もかかりますが、丁寧に手をかければ丈夫で使い勝手のよい、それなりに年代を重ねた風合いを醸し出します。

そうだ、これからはいぶし銀ではなく鋳物でいこう、いや土器でもよい、要は扱い方と手入れ次第だと感じたのです。

でも、どうやってそれを体現できるのか、肝心のところが分かりません。まあ、それが修行というもので、一生ついて回る業なのでしよう。

取り敢えず、茶殻を入れた風呂にでも入りますか。

            エッセイ放生記 おしまい

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        ** お知らせとご挨拶 **
  長い間エッセイ放生記をご愛読頂きありがとうございました。
  今回をもちまして一旦筆をおきます。

  恥ずかしながら小説を書き始めました。
  よろしかったら下記からどうぞ。
        http://mineyama.blog.jp/
     
       2018年 秋  たちばな屋善作