1803ホトケノザ
今の時期、さくら情報で溢れ返っていますが、鎌倉、峯山の山桜は二分咲きといったところです。そこで、今回は自然農の話です。

写真は、3月上旬の畑の様子です。ここは、昨年カボチャを育てた場所ですが、収穫後、草が伸び放題状態だったのを冬の初めに一度草刈りをしてあります。
本当は、刈りたくなかったのですが、周りから無精だとか無責任だとか非難されるのを恐れて、つまり世間体を気にして草刈りしました。

今は、ご覧の通り小さな花が幾つか咲いています。青はオオイヌノフグリ、紅色はホトケノザ、白い花はシロイヌナズナです。例年ですと、この時期にはタンポポやスミレが咲くのですが、今年はなぜか姿がありません。生えてくる草は毎年少しずつ変わってきます。

ここに、間もなく大根や葉物野菜のタネ蒔きをするのですが、さすがにこの状態で無造作に蒔いてもまず発芽しません。
まず、鍬巾くらいに草刈りをします。この時雑草の根を抜くようなことはしません。あくまで地上部だけを刈ります。そこにタネを蒔いたあと、土の表面を鎌の背中でトントンと叩いて、タネと土をなじませます。

水やりはしません。ヒマがあったらやってもいいですが、それより、天候をみて雨の来そうな前にタネ蒔きするほうが確実です。10日ほどたつと雑草と競合するように野菜の芽が伸びてきますから、芽の両脇の雑草を一度だけ刈ります。この時も雑草の根を抜かないようにします。

この後、芽から葉が出てくれば、両脇の雑草は日照を妨げられて芽の方が優勢になるので、以降は野菜も雑草も放任で育つに任せます。

なぜ、雑草の根を抜かずに野菜と共生させるのか。それは、雑草には雑草の役割をしてもらいたいからです。草は土の中にしっかりと根を張り、土の中の水分を保ち、それによってバクテリアや微生物を活性化し、昆虫などの小動物を引き寄せます。

そして、一生を終えて枯れると根が腐って微細な空洞を生じます。これが水や空気を土中深くまで届ける導管となるのです。植物によって異なりますが直根系のものでは30cmを越える深さの導管が残ります。鍬などで物理的に掘り起こすよりも深く、細密に耕しているわけです。自然農が不耕起なのはそのためなのです。

実際に私の畑は20年以上耕していませんが十分に柔らかいです。それは、農薬や化学肥料、石灰などを一切使わないので、その効果も働いているかもしれません。自然農の畑ではそれらは必要ないのです。

ただし、これには人間があまり欲をかかない限りという条件がつきます。生産効率を上げるために農薬や化学肥料をせっせと使えば、それなりに成果は上がりますが、その他の生物つまり雑草、虫、微生物は死滅し、自然農としての機能は失われます。つまり持続可能な生産形態ではなくなります。こうなると農薬も化学肥料も使わざるを得なくなり耕起も必要となります。

自然農の畑は、様々な植物が共生し、その中に棲む小動物や昆虫類もその場で一生を終えることで植物の肥料として蓄えられます。そこは小さな宇宙をなしているともいえます。

耕す、土を掘り起こすということは、この小宇宙を一気に破壊する行為です。専門用語では攪乱といいますが、畑でも世の中でも平穏無事な状態をむやみに攪乱して欲しくないものです。

私の私淑する川口由一さんは、自然農の畑を妙なる畑と表現されます。いい得て妙です。
古来よく耕すことは農作業の基本と言われてきました。それをひっくり返すような農法は俄かに本流とはなりえないでしょう。しかし、自然農には人間としていや、現代社会が考えなければならない課題を沢山提示してくれます。

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