web1711fuji_mineyama
    (早朝、峯山からの富士)
古傷の膝を少し痛めて早朝エクササイズを中断していました。
早朝にはいろいろ楽しみがありますが、極めつけはこの時期の富士山の朝焼けです。富士の高嶺も雪がないともっさりとしていて冴えません。しかし冠雪すると表情が一変します。

そこで、「明日から夜明け前に起きる」と宣言すると、案の定家人から反対を受けました。
曰く、年寄りの体によくない、冷気を吸うと心肺に負担をかける。あげくの果ては、早朝からガタガタされると安眠できない。など、など。それはよく分かっています。私自身、温かい布団の中で古楽の楽しみを聴いていたい、近頃眼も悪化しているし無理をしない方が無難か、まどとエクササイズ再開を否定する気持ちもあります。

でも、こういう時にどちらを選択すべきかは経験的に分かっています。それは迷っている時には、よりハードルの高い方を選んだほうが結果がよいことが多いのです。

今回もその通りとなりました。6時に家を出ると雲一つない空で気温は10度を示しています。直感的に峯山に行こうと判断しました。いつもは近くの運動公園に行き、富士山を眺めながら走ったり、歩いたり、ストレッチをするのですが、近頃は、走りが少なくなり物足りなさを感じていました。そこで、山道歩きを選んだのです。

鎌倉の源氏山から西に、桔梗山、峯山、大丸山という三つのピークをもつ尾根が伸びています。この尾根筋全体を常盤山と称しています。いずれの山も100m足らずの標高です。

今年に入ってから、この峯山を中心に散策路の整備を始めましたが、ほどなく山桜の巨木が沢山あることに気付き、今は「山桜を後世に残そうと」と保存活動に精を出しています。
幹回りが3m近い巨木で、おそらく樹齢は200年を超えているでしょう。これらの桜は背丈が4mを超す篠竹に覆われていて近づくことも困難です。薮をかき分けて幹を見ると直径10cmにもなる藤蔓に巻き付かれ、周りにはすでに枯死している木や倒木が何本もあります。この現状を知った以上放置するわけにはいきません。

友人数名と鎌倉市にボランティア登録し、活動を開始しました。先ずは藪を切り拓き山桜の巨木をつなぐ作業路、つまり桜の回廊作りから着手しました。

やり始めたら、大変な宝物が出てきました。峯山は素晴らしいヴィユーポイントを持っていたのです。山頂付近は桜の巨木に囲まれた広場になっていますし、東は由比ヶ浜の先に三浦半島が横たわり城ケ島まで見渡せます。さらに西側を切り拓くと何と富士山が姿を現しました。

実は、昨日までこのことに気が付きませんでした。今朝の冷え込みで雪を頂いた富士がくっきりと見えていてびっくり仰天です。まだ倒木や藤蔓が視界を妨げていますが、これを払えば絶好の富士見台となります。

すっかり気分が高揚し、鼻歌まじりに尾根道を歩いて帰路につきました。尾根道にはカシやシイ、栗などの落ち葉が敷き詰められ、かさこそと心地よい音がします。そのうちにいつしか走り出していました。久しぶりのことです。
といっても、スロージョギングですから、他人から見れば老人の酔狂にしか見えないでしょうが、本人は心うきうき状態です。多分私にも流れている縄文人の血が騒いだものでしょう。

ドングリや栗の実の落ちる時期は、彼らにとって絶好の収穫期です。気分が高揚したとしても不思議ありません。落ち葉の降り積もった道を歩くことでDNAのなかの縄文記憶が刺激されたのでしょう。晴れやかな気分で山を下りました。

ところで、縄文人は冠雪の富士山を見てどう思ったのでしょうか。これからの厳しい冬に思いをはせて気を滅入らせたかもしれません。
しかし、幸、不幸はあざなえる縄のごとしと知っていたでしょうから、全てをそのまま受け入れて、自然に感謝しながら平穏に暮らしていたことでしょう。

     >>>>エッセイ放生記 毎月二回(1日、15日)発行予定<<<<
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