富士早暁
   (運動公園からの早暁の富士)
毎朝、夜明け頃に運動公園に出かけてエクササイズを行うのを習慣としていましたが、気が付いたら止めてから2年もたっていました。

止めたきっかけは目の手術でした。黄斑変性前膜の切除という厄介な手術を行い、以降何かと体の不調が続き、そうなると負の連鎖です。
すっかり体力に自信がなくなり、ちょっと体を使うとすぐに横になりたくなり、小一時間ほど寝ています。

それで、夜の睡眠時間が浅くなるかといえば、それがそうでもなく夜は夜でぐっすりと眠れるから不思議です。NHKFMの古楽の楽しみをウツラウツラと聴きながら至福のひと時を過ごし、起きるのは7時過ぎですから9時間以上は寝ています。

朝のエクササイズをやっていた頃は、夏場ならば5時まえ、冬場でも6時半ですから大変な違いです。私の続けていたエクササイズは、一時間程かけてスロージョギングとストレッチ体操を行うのですが、それなりの効果はありました。目的は、ボランティア活動や畑仕事、それにテニスを続けるためであり、体力向上は無理としても、せめて現状維持をしたいと思ったからです。

草刈り機やチエーンソウなどを使い、しかも斜面での作業が多いので、ある程度の体力がないと危険だという現実があります。

それで今現在はどうかと言えば、エクササイズを止めたから作業出来ないという事態にはなっていません。ただ長時間はきつくなり以前に比べると半分程度でしょうか。スタミナという点で特にスロージョギングは意味があったといえます。

今は、家の中でのストレッチ体操と、知人に勧められたバンザイ体操です。これは腰痛対策に効果が上がっています。

エクササイズを行う動機は人により様々でしょう。私の場合は、主たる動機はボランティア活動にあります。ちゃんと継続しないと他人に迷惑をかける、あるいは期待を裏切ることになるので、いわば責任感を伴っています。

畑仕事やテニスは自分の楽しみで行っているので、体力低下に合わせてやればいいだけの事ですが、ボランティア活動はそうもいかない側面があります。しかし、現実問題として体力低下は避けて通れません。その時どうするか今から対応策を考えておく必要がありあす。

エクササイズの必要を感じるということは、それはかなり重要な意味を持っています。
それだけ有意義な役目を担っているということであり、生き甲斐にもなっているわけです。
エクササイズにあまり意を用いなくなることは、対象活動への関心度も下がった証ともなります。それは、ある意味で生きる意義が低下しているサインかもしれません。

休日になるとロードワークをしている現役の人をよく見かけます。がんばれよ思うと同時に羨ましいと感じます。羨ましいなどと言ってないで自分でもやればいいのですが、一度途切れた習慣を回復するのは難しいものです。

だらしない事ですが何かのきっかけを待っているのが現状です。

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