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    (熊野古道 伏拝王子にて)

間もなく梅雨の時期に入ります。若い頃は陰気くさいこの時期が大嫌いで、それを嫌ってあえて海外旅行するなどとキザなことをしていました。

しかし、日本人としていつまでもそんな態度で通せるわけもありません。また、畑仕事や山仕事を通して雨の有難さを実感しているうちに、そんな肩ひじ張った感情から自然と一体化する心地よさを感じるようになりました。

これが長年の修養のなせる業で、いまや人生の高みに一歩昇ったと云えればいいのですが、単なる加齢現象かもしれません。

梅雨に入ったからといって、雨が毎日続く訳ではなく必ず中休みというのがあります。これをうまく捕まえると大きな感動に出会えます。何年か前の上高地がそうでした。柳絮舞う梓川べりを横尾方面へ向かえば、紺碧の空を白銀に縁どられた穂高連峰が区切っています。こんな僅かの人たちで、この空間を独占してよいのかと後めたさえ感じました。

雨の道を歩こうと、あえてこの時期を狙って出かけたのが、熊野古道でした。世界遺産登録される前で、この時もほぼ独占状態でした。

フェリーで勝浦に上陸し、あちこち車で移動しましたが、いわゆる熊野三山の大社を参詣するときは、半日以上歩いて行こうとプランを立てていました。ところが皮肉なことに一向に雨が降りません。結構いい天気で、雨の熊野はどこに行った?です。

最後に歩いた本宮大社では、発心門王子から歩きましたが、やっとこの時に待望の雨が降ってくれました。折角の雨を楽しもうと傘なしで、平安期の道行きの苦労を味わいつつ山道を歩いて伏拝王子に達した時は感激しました。

遥かかなたに霧の切れ間から朱の大鳥居がぼんやりと見えています。今は大斎原と呼ばれている鳥居以外は何もないこの空間こそ、往時の大社の鎮座していた場所です。
京からはるばると歩き通して辿り着いたこの場所で、人々は始めて大社を目にすることが出来たのです。感動のあまり伏し拝んだとして、この名がついたのです。

私たちも、この感動にひたりつつ、この大斎原に向かいました。本当に大鳥居以外に何もありません。しかし、これが何ともいえず素晴らしい。神域であることをひしひしと感じ取ることができます。

明治の大水害で社殿が流されて現在地に移築されるまで、古来熊野詣でとして人を引き付けた大社はこの地にありました。

伏拝王子に和泉式部の歌碑がありますが、ようやく目にした大社を前に月の障りのために参詣できないと嘆く彼女に、熊野権現が夢枕に立ち、何の障りがあろうかと告げたとあります。

和泉式部の嘆きと喜びようが手に取るように分かります。同時に、この説話によって熊野信仰が大いに盛り上がったであろうと想像するに難くありません。

上掲の絵は、この時に描いたものですが、私にとって熊野古道は雨抜きには語れません。今でもこの時期になると居間に飾ってこの時の感動を反芻しています。
私は丑年生まれではありませし、偶蹄目でもありませんが、その亜種かもしれません。


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