放生記

雑草と共生する自然農をやっています。大好きな焚き火をしながらあれこれ 浮かんでくる事柄をエッセイにまとめました。 どんなものが生えてくるやら自分にも分かりません。時には水彩画のスケッチを添えます。

2017年02月

マリア祭

02グアルダ
   (スイス・グァルダの雪追い祭り)

 二月の中旬頃になるとボランティアグループでマリア祭を執り行うのが恒例となっています。
マリアとは言うまでもなくイエスを生んだ聖マリアのことですが、マリアの位置づけはキリスト教界でも神学的にやかましい解釈があります。きわめて大雑把にいえば、プロテスタントではやや冷淡ですが、カトリックではとても大事に扱われます。

マリアが中世以降、世界各地に顕現して病気治癒などの奇跡を行ったとされ、ルルドやファティマが代表的な場所となっています。私たちのボランティア活動を行っている修道院では十字架の道行きの途中にマリア像が設置されていますが、それはルルドのマリア像を模したものなので、2月11日の祝祭日前後に毎年お祝いをしています。今年は2/15です。

十字架の道行きなどと聞きなれない言葉が出てきましたので、それについても少し説明をします。イエスが反対勢力の策動によってそそのかされた民衆によって、時のローマ総督ピラトによって十字架上での死刑宣告をうけて最後を遂げたことはよく知られています。
この宣告から十字架上の死にいたるまでの一日を、14から15の出来事に分けて表し、それぞれを留と称します。例えば第1留:死刑宣告される、などです。
普通は教会の聖堂内部に、彫刻された木片などが配置され、それを巡りながらイエスの死を振り返りながら祈りを捧げます。十二所の修道院のように屋外に設置されるところもあります。

十字架の道行きとは、いってみれば月命日のお参りみたいなものです。広大な敷地の中を巡る道行きは、四季の自然を感じながら祈ることができるので、日本人の心情によくフィットして好評です。

因みにこの祈りは、信者でなくとも行えます。どんな雰囲気なのか興味のある方は下記ホームページをご覧になって下さい。
        http://www.geocities.jp/zeng_5508/
もともとは、復活祭の前の四旬節といわれる頃(2~3月)に行うのが普通ですが、十二所では四季を通じてできるように、祈り文も「病者の回復を祈る」とか死者を悼む「追悼のための祈り」とかが用意されていますし、また祈り文なしで、各留で自由に黙想なり祈りを捧げて巡ることもできます。

前置きが長くなりました。マリア祭に戻りますと、当日マリア像や留を綺麗にして花などを飾ります。次に十字架の道行きを行い、その後マリア賛歌を歌い、マリア様への感謝の祈りを唱えながらマリア像の周りを巡ります。この時に気分を盛り上げるためにカウベルを振るのが十二所流です。

やっていながら、いつも思うのですが、これはスイスで行われるチャランダマーツと同じです。カリジェの絵本「ウルスリの鈴」をご覧になった方は子供たちがカウベルを鳴らしながら牛の水飲み場の周りを巡る場面を思い起こすでしょう。実は、上掲の絵はこの絵本を見て興味を持ち、わざわざスイスの小村グァルダまで見に行った時に描いたものです。
あれは、雪追い祭りですが、こちらは杉丸太で組んだ台座の上に安置されたマリア像の周りを同じように巡るのです。

そして、一連の行事が終わると囲炉裏を囲んでの昼食会です。仲間に料理の達人がいるので楽しみです。今年はブイヤベースらしいので、私は旨いパンを調達し、炭火で焼いて食べようかと思っています。

鎌倉の山あいにあるここの修道院には、野兎やタヌキが出没し農作物を荒らします。それで懲らしめのために捕獲して食ってやろうと思うのですが、そう簡単に捕まりません。落とし穴を作ろうとか、いやトラバサミがいいとか話し合っている最中です。

と、まあこんな愚にもつかない雑談をしながら食事をするわけです。ひょっとするとこの囲炉裏談議がマリア祭のメインイベントかもしれません。仏式でも最後は精進落としなどと称して飲み食いしますから、古今東西、人間のやることは似たようなものだということでしょうか。     

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豆まき

1701豆まき
     (節分飾り)
 我が家は、自分で云うのも何ですが、古くからの年中行事を割合大事にしています。
豆まきもその一つです。本来二月の節分に行われる、鬼はらいとか鬼やらいとかいう風習です。この風習は、中国から伝来したものですが、マメは魔滅に通じるとして行われたものらしいです。これは家長の役目とされます。つまり私の仕事となります。

東西南北の戸を開いて盛大に鬼払いをしたいところですが、東西は隣家がやや接近しているので、うっかりすると払った鬼が隣家に飛び込む恐れがあるので、一・二階の南北数か所から豆まきをします。

豆をまいた後、素早く戸を閉めるのが作法ですが、それには引き戸であることが大事です。我が家は、雨戸も木製ですし、最後に豆まきする玄関も引き戸なのでスー・ピシャンとうまくいきますが、これが開き戸や金属製の雨戸だと具合が悪いです。
しかし、家の建物も住人同様に老朽化しているので立て付けが悪くなり、昨今はガタガタ・ドッシャンとかなりイメージの異なる音を立てるようにようになりました。

豆をまくときは、当然ながら「鬼は外」「福は内」と声を張り上げますが、一度これを逆に唱えて恥をかいたことがあります。ピシャと戸を閉めたあとに気がついたのですが、やり直すのも変なのでそのままにしましたが、気のせいかその年にはあまりいいことがありませんでした。まあ、一年に一ぺんしかやらない所作なので仕方ありません。それで、今では小声で練習してからやっています。

豆まきのとき、大声を発するのは結構勇気がいります。周りにそのような声は一切ないですから、いわばご近所代表でやっているようなものです。
ある年、何かの都合で豆まきをやらなかったら、ご近所の方から「鬼は外」の声がしませんでしたねえ、具合でも悪かったのですかと言われました。これは大いに励みになりました。今では、これも地域のボランティア活動の一環と思って、年甲斐もなく続けています。
ちなみに、庭に蒔いた豆は、鳩が喜んでついばんでいます。本来は、蒔いた豆は人が食べることで魔を平らげることになるので、鳩だけにまかせるわけにいきません。
その人の歳の数だけ食べるのが古来からの習慣ですが、この歳ではそんなに食べたら腹をこわします。だいいち硬くて腹をこわす前に歯が壊れます。

自家栽培の豆なので味のいいのが自慢ですが、炒った豆はほどほどにして、代わりに自家製の手前味噌を使った料理を食べています。

昔ならとっくに隠居している歳になりましたが、当家もご多分にもれず老妻との二人暮らしです。生前退位の気持ちを滲ませても誰も応えてくれません。今年もまた、しわがれ声を張り上げることになりそうです。

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プロフィール

たちばな屋善作