放生記

雑草と共生する自然農をやっています。大好きな焚き火をしながらあれこれ 浮かんでくる事柄をエッセイにまとめました。 どんなものが生えてくるやら自分にも分かりません。時には水彩画のスケッチを添えます。

2016年07月

ドリのいた日々(2) ドリ山に登る

ドリ軽井沢
    ( ドリ  軽井沢 峰の茶屋にて )

 ドリのいた日々(2)   ドリ山に登る
走り回るのが好きなドリは、車も大好きでした。ただし、必ず窓を開けろと要求します。風を受けると自分が走っている気になるらしく、真冬でもそうします。
こちらは、ニット帽をかぶりマフラーを首にまいて付き合ってやりました。

夏を過ぎたころ、信州の湯の丸高原に出かけました。いつもの通りキャンプ泊です。当時は犬ずれで泊まれる宿は殆どありません。結果、ドリのお蔭でこちらもキャンプ・ライフの楽しみを教えられました。
季節外れのキャンプ場には誰もいません。勝手にテントを設営し寝ましたが、夜中に何度かドリの騒ぐ気配がしました。多分野生動物が近寄ってきたのでしょう。こういう時には番犬として立派に役立ちました。

翌日は湯の丸山に登りましたが、ちょうど小学生グループと一緒になりました。例によってリードなしのドリと歩いていると、こんなペースに付き合っていられないよとばかりに、子供たちを追いかけて走って行きます。「オオカミが行ったから気をつけろ」と怒鳴るとキャツ、キャツと騒ぐ声が聞こえてきます。しばらくすると、ドリが心配そうな顔して戻ってきます。こちらの様子をみて、まだ大丈夫と安心するのか、また子供たちの方に走って行きます。何度かそんなことを繰り返しながら山頂につくと、ドリが子供たちに頭をなでなでされながら、遅かったね顔をして迎えてくれました。

これで味をしめて西穂に登ったことがあります。ところが新穂高のロープウエイ乗り場で、犬ずれは乗車拒否とのこと。ここまで来て断られても困るので交渉をしていたら、係員が小さなケージをもってきて、ここに入れたらOKといいます。どう見てもドリが入れそうにないサイズです。しかし、ここにドリを置いていくわけにいきません。最初嫌がっていたドリも事情を察したのか、殆ど体を二つに折るように収まり、はみ出る尻尾を無理やりケージに押し込み何とか乗車にこぎつけました。
山頂駅からは、いつものパターンで登りました。今は、野生動物保護とかの理由で犬ずれ登山は禁止されているようなので、いい時に登れました。

犬全般にいえることですが、ドリも大きな音には弱いです。丹沢のキャンプ場で真昼に突然打ち上げられた花火に出くわした時は大変でした。この時、私は川向うにいたのですが
驚いたドリは、これも大嫌いな水をものともせずに川の中を横切って、私に抱きついてきたものです。当然、カミナリも大嫌いです。ゴロゴロしだすと普段は外で寝ているドリもこの時ばかりは玄関に入れろ大騒ぎしました。

一番遠くに行ったのは、萩・津和野です。萩教会の神父を訪ねたのですが、神父様も犬が好きらしく、二日間の観光案内中、ずぅーとドリのリードを握って案内してくれました。
ドリも心得顔におとなしく付き合っていたので、すっかり神父様に気に入られ、別れるときは、私たちよりもドリと別れるのがつらそうでした。

この旅の最後に惨事が起きました。夜なか中走って早暁に茅ヶ崎海岸まで来ました。何かの都合で中央分離帯を越えて車線変更したとき車が大きく揺れました。その時ドリが車から放り出されたのです。何時ものように窓は全開だったことに加え、たまたまリードをつけていたのが不幸でした。急ブレーキをかけましたが、恐らく70kmは越えていたと思います。さすがの俊足ドリもたまりません、かなり引きずられ、停車したときは足の肉球から血が噴き出ていました。

奇跡的に肉球以外の怪我がなかったので、10日ほど静かにしただけで回復したのでホットしました。それにしても早朝で周りに車がなかったのが幸いでした。今思い出してもゾッとします。といっても今更せんない事か、今は居ないのですから。
この稿続く。
       >>>毎月八の日(8,18,28日)発行予定<<<

お読み頂きありがとうございます。
下記釦のクリックをお願いします。励みになります。

ほんとうの海水浴

webyuigahama2012

出かける仕度は決まっています。麦わら帽子、裾の長いシャツ、海水パンツ、ビーチサンダル(かかと紐のついたもの)。持参品は、若干のお金とタオル、タバコくらい。
浜についたら、レスキューボードのある辺りに荷物を置いて、サンダル履きのまま海に入ります。近頃はそうでもなくなりましたが、うっかりすると足裏を痛めるので履物が必要です。

レスキューボードと言ったのは、その日の潮加減を見極めてボードが置いてあるので、そのあたりに置けば荷物を上げ潮で濡らさずに済むからです。また、どこに置いたか分からなくことも防げます。大きな駐車場で留めた場所を忘れて困ったことはないですか。そんなトラブルを防止する意味もあります。

さて、海に入ったら波と戯れながら沖に向かいます。腰のあたりの深さを目安に場所を決めます。近場の由比ヶ浜の場合ですと、波打ち際から数十mの沖合といったところでしょうか。そのあたりになると海水もかなりきれいになり、人も混み合っていません。

そこで、おもむろに体を沈めます。丁度風呂の湯船に入るときの要領ですが、波で体が揺れますから両腕を拡げてバランスをとります。そして波に揺られながら白い雲を眺めたり、海の彼方に視線を向けます。遥かなハワイやバリ島もこの海に繋がっていると思えば気宇壮大となります。近くのコンマイ舟を無視すれば、太平洋一人占め状態です。

やがて浩然とした気分が満ちてきて、矢でも鉄砲でも持ってこい、気分になってきます。多分、この時がストレスが解放された瞬間です。ここで大事なポイントがあります。決して泳がないということです。そんなことをするから変な疲れが残るのです。それでは海に来た意味がないというかもしれませんが、考え方が間違っています。あなたは温泉や銭湯に行ったときに泳ぎますか。今いる場所は、広大無辺なる露天風呂なのです。それも豊かなミネラルと爽やかなオゾンに包まれた天然薬用風呂です。

いい加減なことを言うなと非難するあなた、ウソだと思ったら一度大磯町に行ってみて下さい。この日本で最初に開場(明治18年)した海水浴場には開設当時の錦絵があります。浴衣様なものをまとった大勢の人が海に浸かり、富士や箱根の山並みを眺めています。ひとしきり潮に揉まれたあと、海辺に建てられた料理茶屋で飲食を楽しみます。こうやって当時の人々は、海浜に療養にやってきていたのです。潮湯治ともいったらしいです。
海水泳と言わず海水浴というのもちゃんとした理由があるのです。

頃合いをみて浜に上がり、無料シャワーで海水を流し、シャツをはおって海の家に入ります。このとき裾が長いと濡れたパンツを覆えるので便利です。
生ビールを飲みながらパイプをやるのが私の流儀です。そして浜風に吹かれながらぼんやりと浜の風景を眺めて時を過ごします。運がよければ若い子のナイスバディーにも出会えます。

大磯の錦絵のような豪華さに比べると、ややせこい感はありますが、なに基本は同じです。こんな安上がりな消夏法は他にありません。しかも風邪退治までしてくれるのです。これは私の体験が立証しています。さあ、みなさん! 夏は海水浴療法に出かけましょう!
以上、全国海水浴場協議会(あるかどうか知りませんが)を代弁してPRしました。
           >>>毎月八の日(8,18,28日)発行予定<<<
お読み頂きありがとうございます。
下記釦のクリックをお願いします。励みになります。

ドリのいた日々 (1)


webドリ2

このタイトルを見てピンときた方は、よほどの犬好きか中野孝次ファンです。そうです、中野孝次著「ハラスのいた日々」を借用しました。余談ながら中野孝次氏は密かに私淑していた私の師です。

7月5日はドリの命日になります。写真はその遺影です。ご覧のとおりの美形で賢いメス犬でした。飼い主はだれも自分の犬が一番と思っていますから当然の言い方ですが、ドリの場合はちゃんと証拠があります。それはおいおい分かると思います。

我が家に来たときは、多分1才か2才です。曖昧なのは、ドリが動物愛護協会に拾われた犬だからです。横浜駅の地下道に暮らす段ボールおじさんと一緒にいたところを協会の人が引き取ったのだそうです。

そもそもの出会いは、その協会の人が数匹の犬を預かっているから見にこないかと話があり、見るだけ見ようと出かけたのがきっかけです。可愛らしい柴犬の幼犬がいたので、引き取るのならこの犬だねと見当をつけて、そのお宅から引き揚げようとした時、車まで追いかけてきた脚の長い痩せこけた白い犬がいました。

協会の方が、これも何かの縁だから取りあえず何日か暮らしてみたらと、立派な犬舎を嫁入り道具につけてくれました。当時ルパン3世にはまっていた中学生の息子からドリ3世号と命名され、以来十数年我が家の一員として暮らすことになりました。

丁度うまい具合に、近所で佐良直美さんの犬のしつけ教室が開かれていたので、早速入学させました。そこで驚くべき才能を発揮したのです。たちまちクラスの優等生として認められ、他の犬への模範演技を任されるようになりました。飼い主の鼻もぴくぴくとしたのは勿論のことです。

実際リード無しの遠隔制御もすぐに覚え、訓練のために近くの運動公園に連れていくと注目を一身に集めました。グランドの中央に、リード無しで伏せをさせて、遠くの方から手ぶりや掛け声で「立て、待て、伏せ、来い」などの動作をさせます。人馬一体ならぬ人犬一体の状態はまことに気分のよいもので、ドリのお蔭で一気に人生が充実してきたと感じたものでした。

猟犬の血が入っているのか運動能力も抜群でした。他のどの犬よりも速く走り、跳躍力も目をみはるものがありました。夕暮れになると20頭ほどの犬が集まり、運動公園はさながらドッグレース状態となりました。今思うと夢のような環境でした。

いつの頃からか何かと規制が強まり、今では犬は連れてくるなという公園まで出てきています。犬にも人間にとっても、とても悲しい事態です。情操教育はこういうところから始まります。何でも規制して一体どういう世の中を作ろうとしているのか疑問です。公園に限らず関係者の責任のがれの態度に起因していると思います。

この項、いづれの日にか続く。
       >>>毎月八の日(8,18,28日)発行予定<<<

お読み頂きありがとうございます。
下記釦のクリックをお願いします。励みになります。

カドフェルの舞台を歩く

web_shrewsbury
    (シュルーズベリー大聖堂)

 前週に引き続き英国ネタです。
ウエールズに隣接したシュルーズベリーという街があります。街はセヴァーン川に囲まれた堅固な城と川向うに建つベネディクト会大修道院で成り立つ中世に栄えた古都です。ダーヴィンの出生地としても有名ですが、なんといっても修道士カドフェルの舞台として今でもツアー客が集まる人気ぶりです。

エリス・ピーターズ著「修道士カドフェル」シリーズは、ここを舞台に繰り広げられる歴史サスペンス小説です。12世紀初頭の時代設定ですから日本でいえば鎌倉時代にあたります。

当時の英国の政治的、宗教的背景が複雑に絡み合い、静謐であるべき修道院の生活も否応なく巻き込まれます。修道院は旅人の宿舎の役目も果たしていましたから、国内外の地域から、貴族、領主をはじめ商人、修行中の手工芸者、旅芸人など様々な人々が集まります。
エリスの筆は、これらの人々を含め登場人物の日常生活や生活習慣、考え方、価値観などを余すことなく伝えてくれますから、中世大好き人間にとってこの上ない読み物です。
訪れた街は、セヴァーンの流れはもとより、城も旧市街地も中世の面影を色濃く残しています。橋を渡り、ハイストリートを上り、ヒュー・ベリンガーが守っていた城内に入ると、もうすっかりカドフェルの気分になっていました。
城からは、セヴァーン川が大きく街を取り巻いている様子や川向うの大聖堂とその背後に連なるウエールズの山並みが一望できます。

聖堂は残っていますが、大修道院のあった辺りは幅広い道路にとって代わられていました。従ってカドフェルの薬草小屋もミオール川から水を引き込んだ養魚池も残念ながら跡形も見当たりません。

大聖堂の中には聖ウニフィレッドの祭壇が残されていました。どこまでが史実なのか知りませんが、小説の中では聖女の遺体はここにはありません。元のウエールズに安置されています。しかし、中世以来ここは巡礼地とされ大賑わいしたそうです。ふと、不敬にも「鰯の頭も信心から」という言葉がよぎりました。
カドフェルがミサ中に居眠りするのに役立った列柱などものこされていて、すっかり往時の気分に浸ることができました。

聖堂のショップで大きな地図をお土産に買い求めました。1630年のシュルーズベリーの街を鳥瞰したもので、まだ修道院の姿も残っています。
自室の部屋に飾ってあるこの地図を眺めながら小説を再読すると楽しみが倍加します。

近くのチェスターにも立ち寄りました。司教座大聖堂の置かれた街で小説に何度も登場します。かなり大きな街で、特徴的な外観をもつ建物が立ち並び一気に中世にタイムトリップします。

チェスター大聖堂は、珍しくほぼ往時の状態を保ち続けています。僧たちが使った大食堂も、一部がカフェになっていますがそのまま残っています。
高位聖職者や客人が着座したハイテーブルや、食事中絶えることなく読誦されたという朗読台を眺めながらカフェで一休みし、往時の修道者たちの食事風景を想像しました。

考えてみれば、英国は16世紀にローマからの離脱という大事件を起こしています。今回のEU離脱がどんな結末になるのか分かりませんが、血生臭い事件だけは回避して収束させてもらいたいものです。
        >>>毎月八の日(8,18,28日)発行予定<<<
お読み頂きありがとうございます。
下記釦のクリックをお願いします。励みになります。

プロフィール

たちばな屋善作