放生記

雑草と共生する自然農をやっています。大好きな焚き火をしながらあれこれ 浮かんでくる事柄をエッセイにまとめました。 どんなものが生えてくるやら自分にも分かりません。時には水彩画のスケッチを添えます。

あちらの事情は?

1805pipe2

ネット上を徘徊していると、時に思わぬものに遭遇します。
ちょっと古い記事ですが、養老孟司と山崎正和の対談に出会いました。この中に世界で最初の禁煙運動家はヒットラーだという話がありました。ご存じでしたか。
いわく、ヒットラーはタバコ嫌いで世の中から喫煙者を排除しようとした。健康増進策を国是として定め、アーリア人優先思想のもと最後はユダヤ人の絶滅を企てたとあります。

彼の思想の中心には排除の論理が抜きがたくあるようです。先に制定された健康増進法といい昨今の日本の状況に重なるところがあって怖いですねえ。

この対談は愛煙家どうしのものなのでやや偏っていますが、なるほどと思わせることも幾つか出てきます。①芸術上の偉大な成果は、紫煙のなかから生まれた。②脳の栄養にはニコチンと糖が欠かせない。
ふーん、なるほどと納得します。

③喫煙の害を指摘する学術論文は殆ど科学的根拠がない。ことに副流煙の方が主流煙より害が大きいなど噴飯ものである。
これは、愛煙家の私にもよく理解できます。煙は放出されるやいなや大気中に急速に拡散し濃度が低下します。喫煙者より周りの人の方が被害が多いなどと、どういう計測をしたのか理解に苦しみます。
喫煙者と頬摺り寄せていない限りあり得ない状況です。(こういう状況が無いとは言えませんが、私の経験では絶無です。いや何回かあるか)

よく新聞などに掲載されるタバコと死因、或いは発病率との関連など、?そのものです。数値化出来るほど因果関係は単純ではありません。自分自身のことを考えれば明白です。

これらの数値を正面に押し出して大衆運動化するのは大抵政治家の企みです。彼らは票になりそうなものは何でも利用します。最近の例では某国の首都の知事が、従業員を雇っている店は全面禁煙という乱暴な施策を打ち出しました。

従業員も家族も同じ人間です。人間の命と健康を守る観点で云えばこれは明らかに差別です。そういえばこの知事は、政党編成に際し排除の論理を持ち出して話題になりました。

ついでにネット検索でタバコ税の金額を調べました。ここ三十年ばかり2.2兆円でほぼ変わりありません。因みにこの金額は、国家予算としてはブルガリア、スロベニアの規模であり、国内で云えば復興庁の予算とほぼ同額です。

これ程の巨額の税金を納めている喫煙者に対して許しがたい事柄があります。私はパイプタバコしかやらないのですが、タバコの包装紙の半分くらいは、「タバコは吸ってはいけない・・・、ガンになる・・・」という嫌がらせとしか思えないラベルが貼られています。

こんなことを他の商品に実施したら社会問題になると思いますが、寛容なのか人がいいのか喫煙者は声を上げません。それほど害があるならば大麻や麻薬同様全面禁止にしたらどうだ! といいたい。そうなれば順法意識の高い私は即刻禁煙します。でも多分そうならないでしょう。2.2兆円は大きいですからねえ。それならそれ相応の消費者サービスを考えてもらいましょう。

いまのままでは、喫煙者イコール悪者のレッテルを貼られたままの人生になりそうです。

近頃は、時々あちらのことを気にするようになりました。もし、あちらの入口が喫煙と禁煙に分かれていたらどうしますか。私は躊躇せずに喫煙側に入ります。どうしてもタバコを吸いたいわけではありません。もし禁煙側に入れば、排除の論理や原理主義に凝り固まった人が多そうなので真っ平ごめんです。

一方、喫煙側では、紫煙をくゆらせ乍らモーツァルトでも聴いているような、性格的には寛容な人が多いでしょうから気分よく過ごせそうです。

蛇足ながら、60歳を超えると平均余命は、喫煙や飲酒の有無と関係ないというデータが都から出ているそうです。何んと気楽なことではありませんか。ご同輩!

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山笑う

1804ノビルの絵
         (ノビルと手前味噌)
畑でノビルを採ってきました。栽培している訳ではなく自生しているのです。
ご近所の友人に持って行きましたら、ちょっと待ってと言われ、日本酒を頂きました。

知り合いの近江の酒造メーカーが、この時期限定で売り出すお酒で、名前が山笑うでした。ノビルひと掴みで銘酒が手に入ったことになり、山ではなく人笑うです。

山笑うとは言うまでもなく俳句の季語です。出典となった中国の臥遊録、春山淡冶にして笑うが如しから採られたそうです。因みに冬の描写は冬山惨淡として眠るが如しとありますから、一気に目覚めた春の山の様子を見事にとらえています。

山笑う頃は、山だけではなく畑も笑い、野草の新芽が盛んに出てきます。この日の収穫は、ノビルの他にタラノ木、コンフリ、ネギ坊主です。

上掲の絵はその時のノビルですが、絵を見る限りあまり美味そうではありません。しかし本物は手前味噌で食べると、その独特の苦み辛味はまさに春の味そのものです。

それ以外は天ぷらです。タラノ木は、普通の棘のある木とは別種のものなので芽ではなく、展開直前の赤ちゃんの手のひらほどの葉を食べます。

コンフリは食用として朝鮮半島から来たものらしいですが、どういう訳か畑に自生しています。ものの本によるとあまり沢山食べないほうがよいと記されています。連れ合いは警戒していますが、毎日食べるわけではないし、この時期だけのものですから遠慮なく食べることにしています。うぶ毛の生えたような新芽は味が濃く普通の山菜と一味違います。

今年の新顔はネギ坊主です。以前にも紹介しましたように我が畑ではネギは刈り取り収穫していますので、この時期にせっせと出てくるネギ坊主を刈り捨てていました。

ところが昨年ネギ坊主は天ぷらにすると美味しいと教わりました。教えてくれたのは近所の同年配の女性です。この人は子供の頃から畑仕事を手伝っていたそうです。
私がネギ坊主を捨てていると話をしたところ、勿体ない、天ぷらにすると美味しいので子供のころよく食べていたと教えてくれたのです。

今年はじめてそれを食しましたが、なかなかいけます。普通の山菜より味が深いかもしれません。

今夜のお酒のあては、ノビルの他これらの天ぷらと同じく畑のフキの煮物です。我が家ではフキは葉も使います。葉の苦みが格段に味の深みを増します。

香り高く、口当たりもよいのでご機嫌で飲むうちにいきなり酔いが回ってきました。
ラベルを見るとアルコール度数が18度とあります。まあ、大酒のみ仕様です。私のような下戸に近い人間には高すぎます。口当たりのよさに騙されて、文字とおり度を過ごしてしまい、やがて眠り込んでしまいました。

山笑うを頂いて人笑うとなり、そして最後は人眠るとなったわけです。臥遊録の表現を借りれば春山から冬山に逆戻りして、冬山惨淡として眠るが如しとなってしまったわけです。
今年は山笑う時期がむやみに早くて、農作業もあたふたしています。カボチャの種まきは早々とポットに種まきしました。例年畑にじか蒔きするのですが、気候がどう変わるか分からないので家でよく観察することにしました。人眠るなどと言っておれません。

とはいえ、この時期は眠いですねえ。
近年、なぜかホトトギスが鳴き始めるころまではひたすら眠いです。加齢とともに季節への順応力が落ちてきているせいでしょう。そして、最後は眠り続ける日が必ず来るわけですから、これは自然の理といえます。ガッテン!

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鎌倉峯山のヤマザクラ

web1803hanami

昨年一年間をかけて鎌倉峯山(標高98m)のアズマネザサ(通称篠竹)を全て切り払いました。高さが4mを超すほどに生い茂った中にあるヤマザクラを保護するためです。

その結果、9000平方mほどの山頂周りに巨木9本を含め92本もの山桜を保護することが出来ました。
中には無残にも枯死したり倒れていた桜もたくさんありました。圧巻は、幹回り3mほどの巨木です。何本かありますが、いずれも太い藤蔓に幾重にも巻き付かれていて、息苦しそうでした。

今までは、花びらが散っているのを見て初めて桜の木の存在を知るありさまでしたが、今年は違います。根元から頂上まで全貌を見上げることが出来て感無量の思いです。

残念ながら、頂上部にしか花がついていません。そのため花の鑑賞には首が痛くなります。これは、藤蔓や並立するミズキやカシ・シイなどの高木の影響です。今年は周囲の状況が様変わりしたので来年はもっと沢山の花芽をつけてくれることでしょう。

峯山の山頂はちょっとした広場になっています。そして周囲に桜が植えられています。
多分昔からの花の名所として親しまれていたのでしょう。

峯山の東南麓は、鎌倉時代に北条氏一族の別邸が置かれていたところで、今は国の史跡に指定されています。想像を逞しくすれば、北条一族もここで花見の宴を開いたかも知れません。

上掲の絵は、その想像図です。主客は別邸の持ち主であった北条政村のつもりでしたが、政村が連署を務めたころの執権は北条時宗です。それで、むしろ時宗公の方がよりふさわしいのではないかと思えてきました。

視線の先には、頼朝が築いた港である和賀江島があります。おそらく当時の元の状況を探るには海からの情報が欠かせなかった筈です。蒙古再来にどう備えるか頭を悩ましていたことでしょう。その様な折りに峯山の花見は、ひと時の安らぎをもたらしたと思います。

因みに時宗公の背後にある桜の位置には、今でも巨木があります。仲間の一人が樹の直径から樹齢を推定する計算式を導き出しました。それによると250年を超えるようです。10代将軍家治の頃で、田沼意次や伊能忠敬が活躍した時代となります。

昔からここに大木があったので後世の人がそれを引き継いできたものでしょう。
この場所からは富士山も見える眺望の良いところです。古い苔むした石組みなどがあることから鎌倉時代には物見台や狼煙台が置かれていた可能性もあります。

これからも鎌倉峯山の会として、この周辺のヤマザクラを後世に残すための活動を行いますが、時宗公もここで花見をしたことが分ればずい分と励みになります。

今のところ、切り拓いたところから出てくるのは、一升瓶やビールの空き瓶くらいですが、そのうちに「かわらけ」や宋銭などが出てくるかも知れません。

でも、そうなると国の史跡に指定されて立ち入り禁止になるかな。時宗公に笑われそうな卑小な悩みですが、それはちょっと困ります。
蛇足ながら、絵に描かれている覗き見している農夫は私の先祖(のつもり)です。

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プロフィール

たちばな屋善作

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